最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)979号 判決 1980年3月13日
上告人
上野安子
外四名
右五名訴訟代理人
上野國夫
青木康
被上告人
千葉県
右代表者知事
川上紀一
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人上野國夫、同青木康の上告理由第一点及び第二点について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、右認定の事実関係のもとにおいて、本件道路の設置又は管理に瑕疵がなく、また、本件道路の状況と本件事故の発生との間には相当因果関係がないとした原審の各判断は、正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。
同第三点について
所論の証拠が唯一の証拠方法にあたらないことは記録に照らし明らかであるから、その取調をしなかつた原審の措置に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(団藤重光 藤崎萬里 本山亨 中村治朗)
上告代理人上野國夫、同青木康の上告理由
第一点 国家賠償法二条一項所定の「瑕疵」の解釈適用の誤り。
原判決には、国家賠償法二条一項所定の営造物の設置・管理の「瑕疵」の解釈適用を誤つた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一、「瑕疵」の判断に関する最高裁判所判決、並びに通説の見解。
最高裁判所第一小法廷昭和四五年八月二〇日判決(昭和四二年(ヲ)第九二一号)によれば、「国家賠償法二条一項の営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国および公共団体の賠償責任については、その過失の存在を必要としないと解するのを相当とする。」とされているが、この判決は、多数説の強い支持を受けて現在における営造物の瑕疵の判断に関する代表的な判例となつており、通説によれば、右判決は営造物の瑕疵の判断について所謂客観説の立場に立ち、かつ、その責任は無過失責任であることを宣明したものであるとされている。
それ故に、上告人らは第一審、並びに原審を通じて、本件道路の瑕疵の有無の判断も、右判決や通説と同様の観点からなされるべきである旨を強調してきたのである(特に原審における昭和五一年九月二三日付準備書面第一項参照)。
二、「瑕疵」の判断に関する原判決の立場。
(一) 原判決の判断規準の不当性
原判決は、その事実摘示において、原審における上告人らの主張として、「道路の設置・管理の瑕疵とは、被控訴人千葉県も主張するとおり、道路が通常有すべき安全性を欠くことであり、その整備の程度は、道路の位置、環境、交通状況に応じ、一般の通行に支障を及ぼさない程度で足り、必ずしも常に完全無欠のものであることは必要ではない。問題は、本件道路の整備の程度が、道路の位置、環境、交通状況に応じ、一般の通行に支障を及ぼさない程度であつたかどうかということである。」とし(原判決四枚目裏一行ないし八行)、これに対する被上告人県側の認否として、「右については争わない」とされているのであるが(原判決六枚目裏七行)、右摘示の文言は、東京高等裁判所昭和四五年四月三〇日判決の文言と同様であるところ、本件訴訟において、右東京高等裁判所の判決を積極的に引用し、損害賠償責任の存在を争つたのは、被上告人県の側であり、却つて上告人らは、被上告人県の引用する右判決は、前記最高裁判所判決で明示されている「管理者側の財政面上の問題は、瑕疵の判断と直接の関係はない」旨の見解とは異なり、管理者側の財政面上の制約を判断の前提とした特異な判決であり(このことは、右判決の判文全体を見れば極めて明らかである)、右判決は、このような前提のもとに、何らの必然性がないのに拘らず、前記最高裁判所判決で示された「瑕疵」の判断基準たる「道路として通常有すべき安全性」の趣旨を、「一般の通行に支障を及ぼさない程度で足りる」とおき替えることにより、前記最高裁判所判決や通説の見解と異なり、「瑕疵」の判断規準を意識的に修正した不当な判決であるから、これに依拠した被上告人県の主張は失当であるとして、上告人らにおいて極力批判した判決なのである(特に原審における昭和五一年九月二三日付準備書面第一項参照)。
しかるに、原判決は、上告人らの引用した前記最高裁判所判決や通説に基づく主張には何らふれることなく、却つて被上告人県の引用した東京高等裁判所判決に基づく主張を、恰かも上告人らの主張の如く摘示されているのであるが、原判決が、わざわざ右の如き摘示をされていることからすれば、原判決は右摘示どおりの観点、とりわけ「道路として通常有すべき安全性」の趣旨を「一般の通行に支障を及ぼさない程度で足りる」と意識的に修正した観点から、本件道路の瑕疵の問題を判断されていることは明らかであり、その結果、原判決は、前記最高裁判所判決や通説の見解を全く無視して、本件道路に関する瑕疵の判断を誤るに至つているのである。
(二) 原判決は、瑕疵による責任を過失責任と誤解している
先に引用した最高裁判所判決で明白に指摘され、また、通説にいわれているとおり、国家賠償法二条一項所定の損害賠償責任は、その性質上、本来、無過失責任なのである。
ところで、原判決の判文によれば、「本件事故が被控訴人千葉県の道路管理上の過失を一因として生じたものと認定することはできない。」(原判決九枚目表一行ないし三行)、「被控訴人千葉県に道路管理上の過失があるとまですることはできない。」(原判決九枚目裏一〇行、一一行)、「被控訴人千葉県に過失があるとまで断じがたい。」(原判決一〇枚目表四行、五行)として、再三に亘つて被上告人県に過失はないとされているのであり、これからすれば、原判決は、国家賠償法二条一項所定の損害賠償責任は、過失責任であるとの前提に立つて本件事案を判断されていることは明らかであるが、前述のとおり、右法条所定の責任は無過失責任なのであるから、いやしくも、営造物の瑕疵による責任の有無を判断するに当つて、これを過失責任と誤解するが如きことは許されないところであり、原判決は、かかる許されない誤りを犯し、加えて、前述の「瑕疵」に関する判断規準を誤つたことが競合して、本件の判断を誤るに至つているのである。
三、正当な「瑕疵」の意義
道路を含めて、営造物の設置・管理の瑕疵を論ずるに当つては、先に引用した最高裁判所判決や通説でいわれているとおり、その損害賠償責任は無過失責任であることを当然の前提とし、かつ、所謂、客観説の立場に立ち「営造物として通常有すべき安全性」の観点から判断するのが正当な態度であるというべきである。
ところで、「営造物として通常有すべき安全性」とは、各営造物が、それぞれの設置目的に照して、本来、備えているべき安全性であると解されるところ、これを道路についていえば、道路は、そこにおける交通が、安全、かつ、円滑に行なわれることを目的とするものであるから(道路法二条二項、二九条)、当然に、「道路として通常発生することが予想される事態に対処し得る安全性」という趣旨になるものと解される。
従つて、本件道路に関しても、「道路として通常発生することが予想される事態に対処し得る安全性」という観点から瑕疵の問題が判断されるべきであり、原判決の如く、これを過失責任と解したり、或いは、何らの合理性、必然性がないのに拘らず、「道路として通常有すべき安全性」の趣旨を「一般の通行に支障を及ぼさない程度で足りる」とおき替えた観点から判断することは誤りである。
四、本件道路の位置、環境、交通状況等
前述のとおり、本件道路の瑕疵の問題の判断は、本件道路が、「道路として通常発生することが予想される事態に対処し得る安全性を具備していたか否か」という観点からなされるべきものと思料するが、上告人らは、その場合においても、なお、本件道路の位置、環境、交通状況等は、本件道路の瑕疵と判断と密接な関連があると思料するので、以下、本件道路の位置、環境、交通状況等について述べる。
(一) 国道六号線の補完道路であることについて
原判決の引用する第一審判決によれば、「本件道路は、もと国道であつたが、国道六号線の開通により、昭和三七年に被告千葉県に移管され、国道六号線の補完道路としての機能を果している。」とされ(第一審判決一九枚目裏二行ないし四行)、原判決自体においても、「本件道路が国道六号線の補完道路として活用され」(原判決八枚目表八行、九行)、「国道六号線の補完道路としての本件道路の利用状況」(原判決九枚目裏一二行、一〇枚目表一行)として、何れも、本件道路が、国道六号線の補完道路であることを強調されているが、次に述べるとおり、かかることを強調しても何らの意義はないのである。
すなわち、国道は、「全国的な幹線道路網を構成する道路」であり(道路法五条)、都道府県道は、「地方的な幹線道路網を構成する道路」である(道路法七条)ことからすれば、一定の地域において両者が併存する関係にある場合には、相互の関係において、都道府県道が国道の補完的な役割りを果す結果になるのは当然のことであり、本件道路が県道として、国道との比較において、補完的役割りを果していたからといつて、県道としての管理の水準、程度が緩和されるものでなく、むしろ、本件道路は県道として、「地方的な幹線道路網を構成するもの」であることからすれば、単に、国道の補完的役割を果していたに過ぎないとは、到底、考えられず、「地方的な幹線道路網を構成する」県道として、それに則した管理が要求されるというべきであり、これからすれば、原判決の前記国道との対比における判示は、全く無意味であり、却つて原判決は、このようなことを強調した結果、本件道路の瑕疵の判断を誤るに至つているのである。
(二) 本件道路は三種四級道路ではない。
上告人らは、原審において、被上告人県側の再三に亘る「本件道路は、道路構造令上の三種四級道路として管理してきたから瑕疵はない。」との主張に対し、「現行道路構造令二条、三条によれば、同令の上で、三種四級道路とは、地方部の、しかも山地部を通ずる道路であるが、本件道路は、県道松戸・柏線として、市街地(都市部)の平地部を通じているから、三種四級道路ではなく、四種道路であり、しかも、同令五条、一一条によれば、三種四級道路と四種道路とでは、所定巾員や歩道設置の必要性の点で重大な差異があり、これは本件道路の瑕疵を判断する関係でも大きな問題である。」旨を詳細に主張したのである(原審における昭和五一年四月五日付準備書面第四項、並びに同五一年九月二三日準備書面第四項各参照)。
それ故に、原判決も、上告人らの主張として、その旨を事実摘示されたものと解される(原判決六枚目表四行ないし六枚目裏五行)。
ところで、原判決は、上告人らの右主張に対しては、何ら判断を示すことなく、却つて、第一審判決をそのまま引用して、「本件道路は、道路構造令(昭和四五年政令三二〇号)の公布以前から存した道路であり、改築する場合以外には同令の適用はないが、同令上は三種四級道路である。」(第一審判決一九枚目五行ないし八行)、「三種四級の道路巾員は、5.5メートルを必要とするが、(中略)、巾員においてかけるところはない。」(第一審判決一九枚目裏七行ないし二〇枚目表一行)、「法令上も欠ける点はないのである。」として(第一審判決二一枚目裏一〇行、二二枚目表一行)、本件道路が三種四級道路であることを前提として判断されている。
原判決が、右のとおり、第一審判決を引用して、現行の道路構造令は、改築する場合以外には本件道路に適用がないとしながらも、右道路構造令を前提とした判断を示されているのは、現行道路構造令は、その適用を受けない道路にあつても、その構造や管理の問題との関係では、重要な判断指針になると考えられたことによると解される。
しかしながら、前述のとおり、本件道路は、県道松戸・柏線として市街地(都市部)の平地部を通ずる道路であることは明白なことであるから(被上告人県も、原審において、本件道路が市街地(都市部)の平地部を通じていることについては何ら異論を述べず、却つて、遂には、自ら持ち出した道路構造令の問題を回避しようとするに至つた。因みに、この点に関し、原審における被上告人県の昭和五一年七月一七日付準備書面第三項参照)、本件道路が被上告人主張の如き三種四級道路でないことは明らかなことであり、従つて、原判決の本件道路が三種四級道路であるとの前記判断は明らかに誤つており、特に、この誤りは、後述の本件事故現場附近における歩道設置の必要性の問題に大きな影響を及ぼしているのである。
(三) 本件道路の交通状況
上告人らは、原審において、本件道路は、近年、人口が急増した都市である松戸市と柏市に通ずる道路であることから、自動車の交通量が激しく(このことは第一審における検証調書の第四項の(三)に「本件道路における交通量は激しい状態である」とされていること、並びに、被上告人県において、昭和四一年より歩行者の安全のために歩車道を分離して歩道を設置していること自体に照して明らかである)、従つて、本件道路は、当然に、そのような自動車の交通量の激しい道路として管理されなければならない旨を主張したのであるが(原審における昭和五一年四月五日付準備書面第一項の九参照)原判決の引用する第一審判決によれば「本件事故当時は、午後一〇時をすぎており、事故地点附近では、歩行者の通行は殆んどなく、自動車の交通量も少なかつた。」とし(第一審判決二〇枚目裏一行ないし三行)、原判決自体においても、「とくに本件事件当時の夜間一〇時頃には、自動車の交通量は少なかつた。」として(原判決一〇枚目表一行、二行)、本件事故当時の自動車の交通量が少なかつたことを強調されているのである。
しかしながら、如何に自動車の交通量の激しい道路であつても、長距離の高速道路や数車線もある主要幹線道路などの特殊な道路でない限り、夜間になれば、これが減少することは社会一般に顕著なことであり、本件事故が発生したのは、偶々、夜間の一〇時頃であつたが、そのような時間帯の交通量のみをもつて道路管理の問題を云々することは妥当ではなく、歩行者が当該道路を通行する時間が特に一定しているわけではないことからすれば、一個の道路について、歩行者の安全確保の観点から自動車の交通量を問題とするのであれば、自動車の交通量の多い時間帯か、或いは、少なくとも、一日二四時間を通じての自動車の交通量を問題とするのでなければ、当該道路に関する客観的な安全性は決らないと思料する(ちなみに道路構造令三条も一日を通じての自動車の交通量を基準として、道路を第一種から第四種に区分すべきものとしている)。
五、歩道の欠落
本件事故当時、事故現場附近だけは、他の個所と異なり、歩車道は分離されず、従つて、他の個所の如く縁石をもつて車道より約二五糎高くした歩道(歩道の定義については、道路構造令二条一号参照)は設置されていなかつたのであるが、これは、以下に述べるとおり、本件事故との関係における重大な瑕疵なのである。
(一) 歩道の設置と道路構造令
道路構造令の上で、本件道路は、被上告人県が主張し、原判決が認定された如き第三種四級道路ではなく、第四種道路であることは前述した。
ところで、道路構造令一一条では、第四種道路については、「原則として歩道を設置すべき」旨を定めているが、第三種道路については、「安全かつ円滑な交通を確保するため必要がある場合においては歩道を設けるものとする。」として歩道の設置を原則としてはいないのであり、その主たる理由は、自動車や歩行者の交通量の差異によるものと解される。
現行の道路構造令は、改築する場合以外に、本件道路に適用はないが、前掲の最高裁判所第一小法廷昭和四五年八月二〇日判決によつて支持された二審判決たる高松高等裁判所昭和四二年五月一二日判決(高裁民集二〇巻三号二四三頁)において正当に認定されているとおり、現行道路構造令の規定の趣旨は十分尊重して瑕疵の問題が判断されなければならず、本件道路の如く既設道路として、直ちに同令を適用しないこととされている道路であつても、事柄の性質上、とりわけ、安全施設に関する規準は、瑕疵の判断に関して重要な指針になるというべく、そうでなければ、改築を怠る既設道路にあつては、いつまでも、同令の趣旨が活かされないことになるからである。
よつて、本件道路は、現行道路構造令に照せば、第四種道路として、歩道を設置すべきものとされていることは、本件事案を判断する上においても、十分考慮される必要があるものと思料する。
(二) 歩道の欠落と瑕疵の関係
前節では、現行の道路構造令との関連における歩道設置の問題を述べたが、同令に関係なく検討しても、なお、本件道路について、事故現場附近だけ歩道が欠落していたことは、次に述べるとおり、事故現場附近の具体的状況に照して、大きな瑕疵があつたというべきである。
すなわち、本件道路は、近年、人口が急増している都市である松戸市と柏市の市街地のなかを通じており、近時、自動車の交通量が激増している道路であつて、しかも、歩行者と自動車の双方の通行が予定されている道路であるから、自動車の通行の円滑もさることながら、自動車との関係における歩行者の安全確保については、特に配慮がなされ、適切な措置が講じられなければならないのである。
このような本件道路の位置、環境、交通状況からして、被上告人県は、本件道路について、本件事故発生の数年前から、歩行者の安全確保のために歩車道を分離し、しかも縁石を用いて車道よりも約二五糎高くした歩道の設置に着手し、本件事故当時、事故現場附近を除いてその前後には、歩車道を分離して、歩道を設置していたが、本件事故現場附近だけは、歩車道の分離もせず、従つて歩道を設けることなく、その他、歩行者の安全確保のための何らの措置をも講ずることなく放置していたのであつて、この部分だけ歩道が設置されていなかつたことは、後述の未舗装放置の問題と相まつて、この個所についてだけ歩行者に、歩車道分離のない舗装個所へのはみ出し歩行を強いるという極めて危険な状態を招来していたのであつて、このように、一区間についてのみ、歩道が欠落していたということは、前後に歩道が全く設置されていない場合よりも、さらに、多大の危険性を歩行者に与えていたのである。
なお、右のような特定の個所だけの歩行者のはみ出し歩行という特異な状況は、自動車の運転者からしても、運転を誤るおそれが多分にあつたというべきである。
さらに、附言すれば、原判決が引用する第一審判決、並びに原判決自体でも、「被上告人県が、本件事故発生後の昭和四八年度末に、本件事故現場附近に歩道設置工事をしたことは、年次計画によるものである。」として(第一審判決二〇枚目表二行ないし一一行、原判決九枚目表七行ないし一〇行)、本件事故発生後における歩車道の分離、歩道の設置は、恰かも本件道路に瑕疵がないことの積極的事由の如き認定をされているが、本件事案の判断に当つて重要なことは、本件事故当時、事故現場附近についてのみ、歩車道を分離せず、従つて、歩道を設置せず、その他何らの措置をも講ずることなく放置していたことが、現場の具体的状況に照して、客観的に、歩行者の安全確保の観点から、欠ける点はなかつたか否かであつて、被上告人県の年次計画なるものは、その財政的な観点を度外視する限りは、何ら重要な要素ではないと思料する。
六、未舗装放置の問題
本件事故当時、事故現場附近の歩道欠落部分は、何らの措置もとることなく、未舗装のままで放置されていたのであるが、原判決の引用する第一審判決で認定されているとおり、「本件事故当時、道路の東南部の未舗装部分は、約三〇メートルほどの長さにわたつて、ぬかるみの状態になつていた。」のであり(第一審判決二一枚目表一一行ないし裏一行)、この点につき、甲第六号証(警察の実況見分調書)では、「未舗装の部分は、雨後のために泥々になつて短靴が見えなくなる程ぬかる。」とされ、また、同調書添付の第二見取図でも、「グチヤグチヤな未舗装」と表示されている。
ところで、前記のような被上告人県による未舗装放置の問題は、前述の歩道欠落の問題と合わせて、以下に述べるとおり、本件事故との関係で重大な瑕疵であるというべきである。
(一) 舗装と道路構造令
被上告人県は、第一審における昭和五〇年七月二八日付準備書面第一項の(3)(4)では「未舗装部分1.4メートルは保護路肩であり、保護路肩は、道路本体を保護する部分で未舗装を通常とし、原則として通行の用に供する部分ではない」とし、さらに、原審における昭和五一年七月一七日付準備書面第一項の(2)では、「事故現場道路の外側約1.4メートルの未舗装部分は、道路構造令上保護路肩と呼ばれる部分であり、道路本体を保護するものであつて、通行の用に供する部分ではない。」として、恰かも、路肩は、未舗装を通常とした通行の用に供する部分ではないものの如く主張し、未舗装放置の問題を極力、回避しようとした。
しかしながら、上告人らが、原審における昭和五一年一一月二四日付準備書面で述べたとおり、道路構造令二三条一項は、舗装に関し、「車道、中央帯(分離帯を除く)、車道に接続する路肩、自転車道、及び歩道は舗装するものとする。ただし交通量がきわめて少ない等、特別の理由がある場合においては、この限りでない。」として、路肩も原則として、舗装すべきものとしているのであり、道路構造令が、右の如く、他の部分とともに路肩をも舗装すべきものとしたのは、前掲但し書の趣旨に照せば、路肩についても歩行者の通行が予定されるからであることは極めて明らかであり(車輛については、車輛制限令九条により路肩の通行は禁止されている)、被上告人県の前記主張は、道路構造令の明文の規定にも反するものなのである。
(二) 未舗装放置と瑕疵の関係
前述のとおり、本件事故当時、事故現場附近の歩道欠落部分は、未舗装のままで放置されていたのであるが、この部分は、その前後に既に歩道が設置されているという関係からして、当然に、歩道の延長として、歩行者の通行が予定される関係にあつたのであるから、この部分が被上告人県の主張する如く、路肩であつたとしても、前述の道路構造令の趣旨に照せば、歩行者の歩行が可能なように舗装すべきものであつたのに拘らず、被上告人県は、何らの措置もとることなく放置していたのであり、その結果、この部分は、本件事故当時の如く、降雨があつた場合には、泥々にぬかつて歩行が不可能なことから、歩行者は、この個所についのみ、止むなく、自動車との接触に関する危険を犯して、歩車道の区別のない舗装部分に立ち入つて、はみ出し歩行することを余儀なくさせられていたのであり、亡健次は、このような状況の下に、舗装部分にはみ出し歩行をしていて、本件事故に遇つたものであるが、このように、一区間についてのみ、歩行者にはみ出し歩行を強いるということは、歩行者自体についても極めて危険であるのみならず、自動車の運転者が運転を誤る原因ともなつて、極めて危険な状態であつたのである。
七、夜間照明について
本件事故が発生したのは夜間であるが、事故現場の前後数十メートルの間で照明施設として、事故発生個所の反対側の電柱に、ただ一個の螢光灯が設置されていたものの、これが極めて不完全であつたことは、甲第六号証(警察の実況見分調書)に「東電柱一五二号に螢光灯の街灯があるも、まわりは暗く見透しは悪い」とされており(第五項(二)エ)、また、原判決の引用する第一審判決に「附近に螢光灯の街灯があるが、まわりは暗く、見とおしは悪い」とされていること(第一審判決二一枚目裏一行二行)に照して明らかである。
ところで、このような夜間の照明が不備であつたことも以下に述べるとおり、本件事故との関連で、本件道路の大きな瑕疵なのである。
(一) 照明施設と道路構造令
現行道路構造令三一条は、「交通事故の防止を図るため必要がある場合においては、横断歩道橋(地下街歩道を含む)、さく、照明施設、視線誘道標、繁急連絡施設、その他これらに類する施設で建設省令で定めるものを設けるものとする」と規定しているが、前述のとおり、本件事故発生個所の反対側の電柱に螢光灯が設置されたのも、右道路構造令の趣旨に則したものと解される。
(二) 照明不備と瑕疵の関係
原判決の引用する第一審判決によれば、本件事故車の運転者たる青野弘が、歩行中の亡健次を発見した際の状況について、「青野弘は、至近距離になつて歩行中の亡健次がいることに気づいたが、同人は道路の左から右へ横断するような姿勢をしているように思われたので……」と認定されている(第一審判決二一枚目二行ないし四行)。
ところで、帰宅途中の亡健次が、自宅の近くに至つて、自宅とは反対方向へ道路を横断しかけたとは到底考えられないのであるが、運転者たる青野弘は、何故に前認定のように感じたのであろうか。
ここに大きな問題があると思料する。
本件事故は、夜間の、しかも降雨の際に発生したものであるが、前述のとおり、本件事故現場附近だけは、他の個所と異なり、歩道が欠落しており、しかも、この部分は未舗装のままで設置されていたため、降雨の際は泥々になつて歩行が困難なことから、亡健次は、やむなく、歩車道の区別のない舗装部分に立ち入つて、はみ出し歩行をしていたものであるが、青野弘は、このような状態で、はみ出し歩行中の亡健次を発見したものである。
ところで、右のような特定の個所だけのはみ出し歩行は、昼間であつても重大な危険を伴なうものであるが、夜間の、しかも降雨の際は、更に一層危険なのであつて、特に、本件事故現場附近の照明が極めて不備であり、見透しが悪かつたことから、青野弘は、至近距離になるまで、亡健次を発見できず、しかも、発見した時点で、他の個所と異なり、歩行者が、はみ出し歩行をしていたことから、亡健次が道路を横断しようとしているように感じたものと解される。
その結果慌てた青野弘は、急いでハンドルを右へ切り、更に対向車との関係で左へ切るというような措置に出て、結局、歩行者への対応を誤り、本件事故をひき起したものなのである。
ところで、本件事故発生の原因は、青野弘の運転の誤りもさることながら、そのように同人が運転を誤るに至つたのは、この個所のみ、歩行者が舗装部分へはみ出し歩行をするという特異な状況にあり、しかも、本件事故現場附近の照明が極て不備であり、暗くて見透しが悪かつたことが大きな原因であつて、照明不備の問題は、はみ出し歩行(歩道欠落、未舗装放置)の問題と合わせて、本件事故との関係における道路の大きな瑕疵なのである。
八、まとめ
前述のとおり、「営造物の通常有すべき安全性」とは、これを道路についていえば、「道路として通常発生することが予想される事態に対処し得る安全性」と解されるところ、先に述べた本件道路の位置、環境、交通状況、並びに現行道路構造令の趣旨等からすれば、本件道路に関する事故現場附近の歩道欠落、この部分の未舗装放置、その結果としての歩行者の舗装部分へのはみ出し歩行、更には、夜間照明不備の問題は、歩行者を極めて重大な危険にさらしていたものというべく、しかも、これらの問題は、自動車の運転者が運転を誤る大きな原因をなしていたものであり、このような状況の下にあつた本件道路の事故現場附近は、極めて危険な状態にあり、「道路として通常発生することが予想される事態に対処し得る安全性」に欠けていたものであつて、前述のような本件道路の具体的状況からすれば、本件事故は起るべくして起つたものというべきである。
然るに、原判決は、前記最高裁判所や通説でいわれている「道路の通常有すべき安全性」の趣旨を、不当にも「一般の通行に支障を及ぼさない程度で足りる」とおき替えた観点から、しかも、「瑕疵」による責任を過失責任と誤つた上で、前述のような本件道路の事故現場附近の具体的状況を全く無視し、歩道欠落、未舗装放置、はみ出し歩行、夜間照明不備等の問題は、すべて不問に付した上で、現行道路構造令の趣旨をも没却して、第一審判決をそのまま引用し、更には、「前認定の諸事情のもとにおいては、本件事故当時、事故現場附近の部分において、いまだ歩車道を分離するにいたらず、かつ、夜間路上の照明設備を十分にしていなかつたからといつて、本件事故が被控訴人千葉県の道路管理上の過失を一因として生じたものと認定することはできない」とし(原判決八枚目裏九行ないし一〇行目表三行)、本件事故現場附近だけの歩車道未分離による歩道の欠落、当該個所の未舗装放置、その結果としての歩行者の舗装部分へのはみ出し歩行の危険性、夜間照明不備の問題等は、すべて本件事故との関係における道路の瑕疵とするには足らず、これらの整備は、単なる安全対策の問題であるとされているのであるが、上告人らは、このような原判決には到底、承服し難いところである。
第二点 国家賠償法二条一項所定の瑕疵と損害との間の「因果関係」に関する解釈適用の誤り
原判決は、国家賠償法二条一項所定の瑕疵と損害との間の「因果関係」に関する解釈適用を誤つた違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
原判決は、本件事故現場附近の道路に瑕疵はないとの前提に立つた上で、本件事故発生の原因につき、原判決の引用する第一審判決では、「本件事故は、被告青野弘が交通量の少ないことから、最高制限速度をこえた高速で進行し、歩行者を発見したならば、これとの接触をさけるため、当然減速すべきところ、何ら減速せず、対向車があるのにハンドルを右へ切つた操作だけで対処しようとしたため、対向車と衝突しそうになり、これを避けるため、歩行者のことなど考えずハンドルを左に切つたという被告青野弘の重大な過失によつて発生しているものであつて、道路の瑕疵によるものではない。」とし(第一審判決二二枚目表一〇行ないし裏六行)、さらに、原判決自体でも、「本件事故は、もともと、被控訴人青野弘が飲酒のうえ、最高速度をはるかに超える速度で進行し、歩行者たる亡健次を発見しても減速しなかつたことが重大な原因となつて生じたものであり、交通事故原因のうち、特に質のよくない飲酒運転、およびスピード違反の二者が競合して生じたものであつて、道路の整備・管理の瑕疵による事故とは認めがたい。」として(原判決九枚目表一〇行ないし裏六行)、本件事故は、専ら、青野弘の運転の誤りによつて発生したものであることを強調し、事故現場附近の本件道路の状況は、本件事故の発生とは無関係であるとされた。
しかしながら、前述のとおり、本件事故現場附近だけの道路欠落という特異性、未舗装放置、その結果としての、この個所だけの歩行者の舗装部分へのはみ出し歩行の危険性、更には、夜間照明不備の問題が重なつて、青野弘は至近距離になるまで歩行者を発見し得ず、しかも、この個所のみ歩行者が車道へはみ出し歩行をしていたという特異な関係から、慌てた結果、歩行者への対応を誤り、運転を誤つたものであることからすれば、本件道路の事故現場附近の状況、とりわけ、その特異性、危険性は本件事故の発生と重大な関連があり、本件事故は、本件道路の瑕疵と青野弘の運転の誤りとが競合して発生したものである。
なお、原判決は、「歩道と車道とが分離され、路肩の未舗装部分が舗装されておれば、あるいは、亡健次は、本件交通事故にあわずにすんだかも知れないが、ただ、そのことから、直ちに、被控訴人千葉県に道路管理上の過失があるとまですることはできない。」とされているが(原判決九枚目裏六行ないし一〇行)、上告人らは、亡健次が本件事故にあつたことから、故なく、直ちに、本件道路に瑕疵があると主張しているものではなく、前述のとおり、本件事故現場附近だけの歩道欠落、未舗装放置によるはみ出し歩行の特異性と危険性、これに加えるに、夜間照明不備の問題が重なつて、歩行者は、極めて危険な状態におかれており、自動車の運転者からしても、右のような状態は、運転を誤る大きな原因となつていたものであつて、このようなままで放置されていた本件事故現場附近の状況は、「道路として通常有すべき安全性」を欠くものであつて、これは、本件事故の発生と重大な関連があり、本件事故は、青野弘の過失のみによつて発生したものではないと主張しているものであつて、原判決の前掲の説示は、上告人らの主張を正当に理解せず、かつ、本件事故現場附近の具体的状況、とりわけ、この部分だけのはみ出し歩行と自動車運転との関連の認識欠如に由来する誤つた判断である。
よつて、原判決の本件事故は、専ら青野弘の運転の誤りによるものであり、本件道路の状況と事故による損害との間には因果関係はない旨の判断は明らかに誤つている。
第三点 証拠の採否に関する法の解釈適用の誤り<省略>